池田貴族のがんとの闘いとは

再発したがんは進行性で、ステージ4aというものでした。

がんのステージは1から4までしかなく、つまり治る見込みはほとんどありません。

再度手術して部位を切除し、後は抗がん剤による治療が始まりました。

そのような中で、1998年2月16日、長女が誕生したのです。

名前は美夕(みゆう)ちゃん。

池田貴族さんと一美さんが出逢い、入籍した七夕の頃から、この名前になったそうです。

この娘さんの誕生が、池田貴族さんががんと闘うエネルギー源となっていったのです。


出典:YouTube

私も保育園に通う娘が1人いますが、もし自分が同じ境遇になったことを想像すると、胸が押しつぶされそうになります。

最近涙もろくなったせいか、目頭まで熱く…。

でも、池田貴族さんと一美さん、そして美夕ちゃんは、そのような運命に巻き込まれてしまったのですよね。

とてもやるせないものを感じます。

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池田貴族の伝説のライブとは

伝説のライブと呼ばれるものはいくつかありますが、1999年に池田貴族さんがその歴史に名を刻みました。

池田貴族さんは、がんによって親を亡くし遺児となった子供たちを支える「あしなが育英会」の存在と、そのあしなが育英会が財政危機に陥っていることをを知ります。

もし自分が死んだら、娘の美夕ちゃんも似た境遇になるかもしれない、そう思ったのかもしれません。

そこで池田さんは、自分の生きた証を刻むのと、がん遺児を支えるためのチャリティライブの企画を打ち立てます。

結果、このライブは大成功を収めます。

趣旨に賛同した著名人の数々が、ノーギャラで出演してくれたのでした。

中でも池田貴族さんと同じ千種高校の先輩である、舘ひろしさんの話がすごいです。


出典:YouTube

当時すでに石原プロでヒットしていた舘ひろしさんの出演料について、不安がスタッフの間を渦巻いていました。

責任者が恐る恐る石原プロの専務に出演と出演料について電話で聞いてみると、次のように言われたそう。

5月30日の舘はオフでありますから、私ども石原プロモーションは当日の舘の行動について一切関知いたしません。

(出典:中村区中村町の中村)

つまり、石原プロは舘ひろしさんの行動を黙認、いや実質OKしたのでした。

そして、舘ひろしさんが出演料について聞かれた際の返事がまたすごいです。

「生前葬実行委員会の諸君へ、ギャランティ・宿泊費の件で複数回問い合わせをいただいた。一体俺を誰だと思っているのか?そんなに払いたければ回答する。舘ひろしのギャラは一億円である。それが無理なら一切の金、宿泊・移動・ホテル・食事はいらない。高校の後輩で、芸能界の音楽を愛する後輩が、その死にざまを見せようとしているときになぜ俺が金をほしがるのか?俺は一切の金は受け取らない。以上」

(出典:中村区中村町の中村)

この報告を聞いたスタッフ、あしなが育英会の方々は、感動にむせび泣いたそうです。

舘ひろしさん、カッコ良すぎます!

 

ライブのポスターイラストはみうらじゅんさん、当日は舘ひろしさんに、筋肉少女帯の大槻ケンジさん、イカ天時代のバンドメンバー、そして母校・千種高校の現役高校生たちまで…。

実はこの時、肝臓のがんはすでに70個にまで増えて手術不能、肺にも転移しライブ2か月前に肺を3分の1切除していました。

しかし池田貴族さんは命をかけて歌い切り、名古屋センチュリーホールの満員3,000人の前で伝説を打ち立てたのでした。

なんという生命力なんでしょう!

この鬼気迫るライブに観客は総立ち、今でも語り草となっているようです。

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