西城正明(姉は五月みどりのプロボウラー)の今現在は離婚し借金王?料理店の閉店理由は?【爆報THEフライデー】

クマ船頭です!

爆報!THEフライデー」に70年代のボウリングブームでスターだった西城正明(さいじょう まさあき)さんが紹介されます。

西城正明さんはイケメンプロボウラーとして絶大な人気を誇っていましたが、今現在は離婚借金とかなり厳しい状況だとか…。

しかも姉は大物タレントで、西城正明さんはボウリングのほかにも家庭料理店を営んでいたとか!?

色々と注目すべき内容が盛りだくさんなので、一つずつ紹介しますね!

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西城正明とは?

西城正明(さいじょう まさあき)さんは1945年生まれの71歳、東京都江東区出身です。

本名は大野正昭さんといいます。

実家は下町で精肉店を営んでいましたが、8人兄弟(男4人、女4人)という大所帯の中で西城正明さんは育ちました。

父親はそのさなか、芝居小屋を持つほどの芸能好きで、子供たちはやがて芸能人やスポーツ選手として巣立っていくのです。

西城正明さんもそのうちの一人で、初めはクラウン系の歌手として活動していましたが、やがてプロボウラーを目指すようになります。

そして1971年、25歳でプロテストに合格しプロデビューを果たします。

ちょうどその頃、ボウリングブームが1970年代前半に起こり、街のボウリング場は人であふれ、テレビ番組もボウリングを積極的に放送していました。

当時大人気だったのが、中山律子さんです。

そして男性プロボウラーは西城正明さんが圧倒的人気を誇っていたといいます。

腕前も圧倒的に強く、試合はストライクの連続!

その実力は海を渡っても通用するものでした。


出典:YouTube

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日本人として初めてアメリカトーナメントで優勝!

1996年の夏、50歳の西城正明さんはアメリカ・ラスベガスのトーナメントに参加していました。

招待選手として、15万ドルのイベントでアメリカ人プロボウラーたちとピンを争っていたのです。

西城正明さんは大外のガターすれすれに投げて大きくカーブをさせる思い切った手法で初日からトップを独走します。

それを見た他の選手たちも大外から投げるのですが、多くは曲がらずにそのままガターへ。

アメリカ人でさえも追いつけないほど、西城正明さんの技術は高かったのです。

しかもこの時、アメリカへ持ち込んだマイボールはなんと1個のみ。

卓越した技術でトーナメント32人の頂点に立ち、日本人初の栄冠を手にして賞金2万ドルを掴んだのでした。

 

もう一つ話題を呼んだのは、西城正明さんのスタイルでした。

エルビス・プレスリーのような髪型、白い靴、黄色いズボン、赤と金のジグザグが走った黒いシャツなど、とにかくド派手だったのです。

このファッションのせいもあり、西城正明さんはアメリカのファンの心をもつかんだようです。

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姉は大物タレント?

8人兄弟の長女は、なんとあの五月みどり(さつき みどり)さんなのです。

年は6歳ほど離れていますが、五月みどりさんが売れたのは早く、西城正明さんがプロデビューする前から紅白歌合戦に3年連続出場などを果たしています。

また妹も4歳年下の歌手、小松みどりさんがいます。

そして五月みどりさんの息子(長男)は、プロゴルファーに西川哲さんと、まさに芸能一家ですね!

これはやはり父親の道楽が大きく影響しているものと思われます。

でも誰もかしこも有名人で、家族が一堂に揃うとなると凄そうですね!

 

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ボウリングブームの立役者!…今現在は?

1970年代のボウリングブームでは、女子は中山律子さん、須田開代子(すだ かよこ)さんが女王争いをしており、男子は西城正明さんが圧倒的だったようです。

また西城正明さんのボールを投げるフォームは非常に美しく、今でも評価が高いようです。

ですが現在では、日本プロボウリング協会(JPBA)を退会し、プロボウラーとしての活動はしていません。

西城正明さんは、この日本プロボウリング協会の運営に共感できない部分が多いようで、協会やボウリング界全体の改革を色々と考え、専門誌などで訴え一般客の理解を得ようとしていたようです。

西城正明さんは、プロボウリングやボウリング界を将来を心配して提言したようですが、組織を変革することはかなわなかったようです。

その結果、プロボウラーという栄光の称号と決別したのでした。

ボウリングの腕は超一流なのに、それを捨ててしまうのは非常にもったいないと思うのですが、西城正明さんの中でどうしても納得できないことがあったのではないでしょうか。


出典:YouTube

美人プロボウラーとの結婚・離婚、料理店や借金の今現在は?次ページで詳しく!

美人プロボウラーと離婚し現在は?

西城正明さんはかつて女子プロボウラーとして中山律子さんと女子プロトップ争いをしていた7歳年上の須田開代子(すだ かよこ)さんと1974年に結婚します。

ボウリングブームだけでなく、西城正明さん、須田開代子さんの活躍ぶりも全盛期だったでしょうから、当時は話題を呼んだでしょうね。

2人の結婚式には、西城正明さんの嫁(妻)である須田開代子さんがファンであったオペラ歌手・田谷力三さんが招かれて歌を披露するなど、華々しいものであったようです。

しかし2人はやがて性格の不一致から、西城正明さんが40歳の時に離婚してしまいます。

およそ10年~11年の夫婦生活でした。

その後、西城正明さんの嫁(妻)である須田開代子さんはガンにかかってしまい、最後は療養先のアメリカで心不全のため57歳の若さで亡くなってしまいます。

一方の西城正明さんですが、離婚後再婚はせず、現在まで独身を貫いています。

西城正明さんはプロボウラーとして活躍を始めた頃から、甘いマスクの持ち主として、実力を兼ね備えたイケメンプロボウラーと人気を集めていました。

他の女性の影があっても不思議ではないと思うのですが…不倫や愛人の情報や報道はありませんでした。

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西城正明は料理店を経営も借金王に!?閉店理由は?

西城正明さんはまず39歳の時に千葉でカラオケスナックをオープンするも、5年後くらいに厨房が火事となり閉店に追い込まれます。

そして2009年に64歳で家庭料理店を開きます。

場所は神奈川県横浜市、関内駅と馬車道駅の中間あたりです。

その名も「おひまなら来てネ」。

ちょっと変わった店名ですが、これは姉である五月みどりさんが歌った曲名なのです。

開店日にはたくさんお花が贈られ、贈り主の名は姉の五月みどりさん、妹の小松みどりさん、大御所演歌歌手の藤あやこさん、長山洋子さんなど、スゴいメンバーが並びました。


出典:食べログ

開店翌年の2010年、日本ボウリング協会へ退会届を出し、ボウリング界から足を洗った西城正明さんは、家庭料理店を本職として歩き始めます。

しかし今現在、この家庭料理店は閉店してしまいました。

理由は西城正明さんの健康問題でした。

不整脈を発症し、わずか1年余りで閉店する羽目になってしまいます。

値段も良心的だったようですが、それも逆にアダとなってしまったようです。

そのせいで開店時の借金がまだ残っており、今現在に至るまでその返済が続いているようです。

65歳で背負った借金…その額なんと2,000万円!

そして現在は無職となり、収入は年金のみ。

横浜市内の築30年、12畳ワンルームマンションに住んでいます。

姉の五月みどりさんに頼ろうにも、とても厳しいみたいで頼れないそうです。

 

しかし西城正明さんにはある特技がもう一つあったのです。

それは…似顔絵です。

芸能人の似顔絵を毎日書き溜め、その数なんと300枚以上!

それをテレビなど使われるテロップイラストに使用してもらおうというビジネスで一発逆転を狙っているそうです。

テレビに使われるイラストは1枚2~3万円ほどのようで1か月に10枚も売れれば生活できるレベルになるかもしれません。

姉の五月みどりさんにも対面し、モノになると太鼓判を押されたほどの絵です。

これからの再起に期待が持てます!

 

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まとめ

  • 西城正明(さいじょう まさあき)さんは1945年生まれの71歳、東京都江東区出身
  • 本名は大野正昭さん
  • 姉は歌手・女優の五月みどりさん、妹は歌手の小松みどりさん
  • 1971年、25歳でボウリングのプロテストに合格しプロボウラーとしてデビュー
  • その後、日本を代表するプロボウラーとして人気を集める
  • 1974年にトッププロボウラーの須田開代子さんと結婚(後に離婚
  • 1996年、50歳の時にアメリカ・ラスベガスのトーナメント大会に出場し、日本人初優勝を果たす
  • 2009年、神奈川県横浜市に家庭料理店を開くも現在は閉店

紆余曲折ありそうな、波乱万丈の人生を送られていますね!

現在も厳しい境遇にあるようですが…負けずに頑張ってもらいたいものですね!

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