最近いろいろと震えているクマ船頭です。
最近は高齢者のクルマの事故がたくさんあって、いつ自分も巻き込まれるかわからないですね。
道路を歩くときは、いくら自分が青信号でも突っ込んでくる車がないか再確認してしまいます。
さて、怖い事件はいつの時代もあることで、今回紹介するのは違った意味で怖いものです。
その名も「イエスの方舟事件」。
宗教がらみの事件と言えば、一番に思い出されるのがオウム真理教の事件ですが、このイエスの方舟事件は一風変わった結末が。
一体どんな事件なのでしょうか??
イエスの方舟事件とは
1975年頃に、千石剛賢(せんごく たけよし)さんが開いた聖書研究会の団体名称を「イエスの方舟(いえすのはこぶね)」といい、
これに多くの人々が集い、それぞれの家族を捨ててまで信者だけで共同生活に入っていたところをマスコミが問題化した事件、
それが「イエスの方舟事件」です。
出典:NEWSPECT
舞台は東京市部。
働きながら聖書の教えを説いて回る千石さんに、家族や社会に不満や喪失感を抱いていた若者たちは魅了されていきました。
そして1978年、千石さんと信者26人は共に全国を転々とし始めます。
それに反応したのは信者の家族たちで、警察に捜索願を出し、マスコミに告発し、終いには国会でも取り上げられるほどまでになりました。
ちょうど同時期、アメリカのジム・ジョーンズという宗教家が南米の小国・ガイアナで信者と共に集団自殺する事件が起こりました。
この事件では900人以上の自殺者が発生し、カルト宗教の恐怖が全世界に伝えられたのでした。
このような背景もあり、信者の家族は家に帰るよう必死に説得し、マスコミはその様子大きく報じたのでした。
ですが信者たちはマスコミの取材に毅然と対応し、無理やり拘束されたり、何かを強制されている様子は確認できませんでした。
このような状況から、結局警察は1人も逮捕せず、千石さんは警察に出頭したものの不起訴に終わりました。
またマスコミにより組織の実態が明るみになり、あっけない結末と共に騒ぎは収まっていきました。
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千石イエスとは
千石イエスとはマスコミが名付けた通称で、千石剛賢さんが自分で名乗っているわけではありません。
千石さんは1923年に兵庫県加西市の豪農に生まれ、太平洋戦争も経験しました。
終戦後は実家の刃物工場を営みますが失敗し、その後は職を転々とします。
20代は喧嘩ばかりしていたようで、自分は気が短く、いつか大きな事件を起こしてしまうのではと恐れていたそうです。
そんな状況もあってか、1952年に大阪で聖書研究会に入ります。
聖書に救いを求めていたのかもしれません。
その後1960年には、その会員10人と一緒に東京都国分寺市に移り、極東キリスト教会を組織しました。
そして信者と共に共同生活を始め、その組織は1975年にイエスの方舟と名称が替わりました。
騒動が起きたのはこの後です。
千石イエスのハーレムとは?次ページに!
千石イエスのハーレムとは?
イエスの方舟には20代、30代の若い女性が多くおり、失踪当時は女子高生だった方もいました。
子どもや夫がいた女性もおり、彼女らは子どもや夫を残して失踪(=イエスの方舟に参加)したのでした。
ですが、千石さんに共同生活を強制されているわけでもなく、酒池肉林のような世界があったわけでもありませんでした。
彼女らは千石さんに、父親のような何かを求めていたと解釈されています。
実際父親がいない女性もおり、また父親がいるものの不遇な扱いを受けていた方もいたそうです。
ですが千石さん自身は自分のことを「オッチャン」と呼ばせています。
教祖でも父親でもなく、ともに聖書を読んで教えを分かち合う人。
信者からそのような対象であったということです。
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”イエスの方舟事件”後、1980年に千石さんらは福岡博多の中洲にクラブを立ち上げます。
その名も「シオンの娘」。
シオンとは、聖書にも記述があり、聖なる場所や神の住むところを表します。
クラブにはマスコミも取材に訪れますが、別に怪しい所は何もありませんでした。
千石さんが経営者としてクラブを運営し、そこで働く女性(信者)たちは、自らの意志で働いているのでした。
クラブがオープンする前の夕方には、千石さんら皆で聖書を読んでいたそうです。
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信者・教団の今現在は?
なんとこの「シオンの娘」は今現在でも福岡博多・中洲で営業を続けています。
ですが、店主は”千石イエス”こと千石剛賢さんではありません。
千石さんは2001年に78歳で他界し、現在は妻のまさ子さんが皆のまとめ役となっています。
また「イエスの方舟」の主幹でもあるまさ子さんは、聖書を説くばかりでなく、伴侶のDVなどに悩む女性たちの相談も受けているといいます。
信者、教団と言うとマイナスなイメージがつきまといますが、ここ方舟については、クラブと言う特異な状況でもありますが、
オープンな印象を受けている人が多いようです。
事件後は特に大きな騒動もなく、現在に至るまで、温和な日々を過ごしている模様です。
私はこの「イエスの方舟」を初めて知ったとき、こんな騒動があってもその後団体が消滅せず、
しかもクラブを経営しているとは驚きました。
騒動となった宗教団体というと、どうしてもオウム真理教のイメージがあるのです。
実は私も昔教会へ行ったことが何度かありましたが、柔らかな温かい雰囲気だったことを覚えています。
日本における宗教のイメージは悪いですが、何かを信じることで人生を楽しく、前向きに生きることが出来るのであれば、
それが宗教であっても全く問題ないと私は思います。
まとめ
- 千石剛賢さん(通称・千石イエス)は1923年、兵庫県加西市の豪農に生まれる
- 終戦後刃物工場を経営するも失敗し、職を転々とする
- 1952年に大阪で聖書研究会に入会し、1960年東京都国分寺市で極東キリスト教会を設立
- 信者と共に共同生活を始め、1975年にイエスの方舟と名称変更する
- 1980年にイエスの方舟事件が発生。沈静後、福岡博多・中洲にクラブ「シオンの娘」を開業
- 千石剛賢さんは2001年に78歳で他界し、現在は妻のまさ子さんが団体とクラブを支える
福岡博多・中洲にこんな店があるとは思いませんでした…
今度行ったら行ってみようかな…と一瞬思ってしまいましたが、実際には腰が引けて行かないでしょう!
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