こんにちは、クマ船頭です。
今回は大阪の超有名人、くいだおれ太郎(くいだおれ人形)のお店、大阪名物くいだおれの名物女将だった会長、柿木道子(かきのき みちこ)さんについて記します。
大阪観光で外せないのが道とん堀のきらびやかな街なみですね。
現在はもともとの飲食店はありませんが、ビックリのビジネスに転換していたのです。
その内容について詳しく記します!
あの「くいだおれ太郎」の弟や家族についてもお知らせしますね!
柿木道子とは
柿木道子(かきのき みちこ)さんは株式会社くいだおれの取締役会長を務めている、「大阪名物くいだおれ」の名物女将です。
プロフィールでは1963年に神戸の甲南大学を卒業とありましたので、生まれは1941年頃でしょうか。
現在76歳ですが、そうは見えないほど若々しい感じです。
かなりの年になられていますが、経営トップからは最近退いたものの、現在でも会社の柱としてバリバリ仕事をしています。
父は「大阪名物くいだおれ」を創業した山田六郎さんで、その次女として大阪府に生まれました。
最近の大阪観光ブームの中心的役割を果たし、大阪の顔とまで言われる存在感があります。
柿木道子さんは1963年に甲南大学を卒業後、父親の経営する株式会社くいだおれに入社します。
翌年には結婚し退職、専業主婦となります。
しかし19年後の1983年、父親の強い希望で復職し、自らは専務として、社長である兄と共に会社を支えていくこととなります。
経営は山あり谷ありでしたが、大阪を代表するシンボル的存在にまで会社を引き上げ、名物女将として人々に親しまれました。
大阪名物くいだおれとは
大阪名物くいだおれは、柿木道子さんの父親である山田六郎さんが1949年に大阪道頓堀で創業した飲食店です。
「京の着倒れ、江戸の飲み倒れ」という言葉から、「ならば大阪は食い倒れや!」と、この名前になったとか。
戦後の復興期で日本全体が混乱する中、人々の胃袋を満たすために、庶民の食堂として歩み始めました。
「支店を出さない、家族で経営」という経営理念があり、それは現在まで引き継がれています。
そして常に流行の最先端を走り、まだ大阪に50台ほどしかテレビがなかった1950年代中ごろ、いち早く店内にテレビを置いたのもその流れでした。
やがて1959年に8階建て全館空調の最新鋭ビル、くいだおれビルを建設します。
1階は食堂、2階は居酒屋、3階は日本料理、4階から8階は割烹と、まさに総合レストランビルを運営していたのです。
しかし2008年7月に、ビル老朽化と経営環境の変化という背景から閉店、59年の歴史に幕を下ろしたのでした。
大阪人の自慢でもあり誇りでもあった同店の閉店を悲しむ声は限りがなく、最終日には大阪にゆかりがある多くの芸能人や著名人が同店を訪れました。
ちなみに関東人である私は大阪へ行った事がほとんどなく、道頓堀は行ったことがあっても、くいだおれの前を通った記憶がありません(笑)
その時はケーキ食べ放題のお店に入った覚えがありますw
くいだおれ太郎(くいだおれ人形)が超人気に!
くいだおれと言えば、超有名なのが店頭にある人形です。
その名も「くいだおれ太郎」、通称くいだおれ人形とも呼ばれます。
全身紅白シマシマ模様、メガネをかけた超奇抜デザインながらも、毎日店頭でタイコをたたくカラクリ人形は、観光名所としても有名でした。
くいだおれ閉店後は「わて、旅に出まんねん」との書置きが残され失踪しましたが、やがて翌年い別のビル店頭に復活しました(飲食店はやっていませんが)。
大阪道頓堀の一度は観ておきたいモノと言えば、グリコのネオンサイン、かに道楽の動く看板、づぼらやのふぐ看板、そしてこのくいだおれ太郎ではないでしょうか。
修学旅行生はくいだおれ太郎と一緒に記念写真を撮り、グッズも大人気です。
若い世代の人気が得られればメディアも注目し、一気に知られるようになりますね。
くいだおれ太郎は内外に関わらず長きにわたって高い人気を維持してきたのです。
飲食店閉店後、驚きのビジネスに転換!くいだおれ太郎はいつから登場?家族とは?次ページで!