ども、クマ船頭です!
今日は「人生激変!〇〇の妻たち」に出演するお笑い芸人、高山トモヒロさんについて記します。
高山トモヒロさんはかつて河本栄得さんとベイブルースというコンビを組んでいましたが、相方が急逝してしまい、そこから地獄のような日々を送ったと奥さんと共に告白しています。
高山トモヒロさんの娘さんも芸人とのことで、活躍ぶりはどうなんでしょうか。
相方が亡くなったコンビとして私が思い出すのは、カンニング竹山さんの相方、中島忠幸さんです。
相方の死を乗り越え、懸命に生きていく高山トモヒロさんですが、かつて次世代のダウンタウンと呼ばれるほどの素晴らしいコンビであったことは他の芸人も語っています。
高山トモヒロとは
高山トモヒロ(たかやま ともひろ)さんは1968年生まれの48歳、大阪府大阪市日本橋生まれ、大東市出身です。
大阪市立桜宮高校に在学中は野球部におり、あの阪神・矢野燿大(矢野燿弘 やの あきひろ)さんと同級生で一緒にプレーしていました。
そして、未来の相方となる河本栄得(かわもと えいとく)も同じく野球部の同級生だったのです。
矢野燿大さんは大学に進学し野球を続け、高山トモヒロさんは高卒でプロ入りを目指していましたが、球団からの誘いはなく、高校卒業後はスイミングスクールに就職します。
が、スイミングスクールをわずか半年で退職してしまいます。
その時、同級生の河本栄得さんの誘いを受け、吉本興業の養成校、NSCに7期として入学します。
このNSCの同期として、雨上がり決死隊の宮迫博之さんがいます。
河本栄得さんと結成したコンビを「河本・高山」(卒業後はベイブルースに改名)と名付け、河本栄得さんがボケ、高山トモヒロさんがツッコミを担当しました。
そして数々の賞を総ナメにし、同期一の若手として期待を一身に集める存在となっていきました。
こう見ると、高山トモヒロさんが関わった方は話題性のある人ばかりだったんですね…。
相方・河本栄得とは
河本栄得(こうもと えいとく)さんは高山トモヒロさんと同級生で、高山トモヒロさんに声をかけ、一緒に吉本NSCに入学しました。
お笑いに対する姿勢はすごくマジメで、他の人の漫才を研究し、ネタ作りも真剣に行っていたようです。
そのせいもあり、高山トモヒロさんとのやりとりでも、高山さんのツッコミが甘いときは容赦なく怒ったとのこと。
お笑いにかける情熱も、人一倍熱かったんですね。
河本栄得さんの母、河本末子さんは、シングルマザーとして女手一つで栄得さんを立派に育て上げました。
その思いが、何事にも真面目に向き合う栄得さんを形作ったのではないでしょうか。
↓ 左が河本栄得さん、右が高山トモヒロさん
しかし1994年の10月中旬、河本栄得さんの体調が思わしくなくなり入院することとなってしまいます。
その半月後の10月31日、奇しくも誕生日の前日、河本さんはそのまま帰らぬ人となってしまいました。
高山さんとコンビを組んでわずか5年、享年25歳という若さでの旅立ちとなりました。
周囲は騒然とし、相方の高山トモヒロさんはその衝撃の大きさから、呪縛にようにすべてに対して気力を失ってしまいました。
河本栄得さんの死因は?高山トモヒロの娘や妻・嫁の今現在は?次ページで!
河本栄得の死因は劇症肝炎!
河本栄得さんの死因は劇症肝炎による脳出血とされています。
劇症肝炎とは、肝臓の細胞(肝細胞)が急激、大量に壊れて肝臓が働かなくなる病気です。
肝臓は体の有害物質を破壊して排泄する働きがあり、お酒のアルコールなども分解して体外に排出されます。
つまり肝臓がダメになると、有害物質が体外に排出できずに、どんどん溜まっていってしまいます。
肝炎というと、お酒の飲み過ぎと思うことが多いようですが、実は主に肝炎ウイルスが原因なのです。
私の周りにも、黄だんが出て体調不良で入院し、同じ劇症肝炎でわずか2か月で亡くなってしまった方がいました。
本当にあっという間です。
劇症肝炎になってしまったら、根本的な解決には生体肝移植しか方法はありません。
しかし肝臓を提供してくれるドナー探しや適合検査などで時間を消費してしまい、その間にも症状は急激に進行してしまいます。
また手術は長時間かかるため、高齢の場合は耐えられる体力を持っておらず、結局手術不可となる場合もあります。
おそらく、河本さんも日に日に弱まっていく自分の体を見て、もう助からないと感じたのではないでしょうか。
そして辛いのは自分だけでなく、家族や相方である高山さんも同じです。
本当にあっと言う間なので、家族と満足のいく別れも出来ず、また生前やり残したことも多かったのではないでしょうか。
河本さんの葬儀では、大勢のファンが駆けつけ、母親の河本末子さんは出棺の最中も泣きすがっていたそうです。
その光景を想像すると、こちらまで涙ぐんでしまいます…。
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高山トモヒロの妻・嫁とは?娘は芸人?
実は高山トモヒロさんはNSC時代の同期の女性と結婚しており、しかもNSC在籍中に結婚したというからまた驚きです。
奥さんのお名前は高山美喜子(たかやま みきこ)さんです。
高山トモヒロさんと美喜子さん、そして河本栄得さんは3人ともNSCの同期生であり、そのつながりは深かったに違いありません。
河本栄得さんの死で立ち直れなくなった高山トモヒロさんを、これまで20年もの間支え続け、美喜子さん自身も疲弊したでしょう。
それでも、高山トモヒロさんが「ケツカッチン」という新たなコンビ芸人として再起を果たせたのは、奥様である美喜子さんの力が大きいでしょう。
ちなみに美喜子さんとの間に娘さんが3人もおり、次女がお笑い芸人として活動しています。
芸名は「光永」(ひなた)といいますが、これでヒナタという読み方はなかなか出来ませんね…。
本名も高山光永(たかやま ひなた)さんといい、実際の名前をそのまま芸名にしたんですね。
光永(ひなた)さんは1991年生まれの25歳で、日本大学芸術学部を卒業後に父と同じく吉本興業のNSCに入り、お笑い芸人の道へと進みました。
父のトモヒロさんと共演することもしばしばで、トモヒロさんが監督を務めるベイブルースの自伝的映画「ベイブルース~25歳と364日~」にも出演しています。
これだけ親子で共演する芸人も珍しいですね。
普通、一芸人として扱い、厳しく突き放す親も多いのですが、高山親子はそうではないようです。
まだまだ活躍の幅は狭いですが、Hey!Say!JUMPの山田涼介さんのそっくりさんとしてモノマネで出演したりと、イケメン女芸人としても知られているようです。
NHKの朝ドラ「べっぴんさん」にも出演を果たし、順風満帆のようです。
ちなみに長女、高山衣世(いよ)さんもチアリーディング日本代表のメンバーとして活躍し、世界一の栄冠をつかむことにも貢献しているようで、なによりといった活躍ぶりですね。
同様に相方を亡くしたカンニング竹山。相方・中島の死因や立ち直ったきっかけは?次ページで!
同じく相方を亡くしたカンニング竹山
私、どうしてもこの方を思い出してしまいます。
今ではキレ芸で売れっ子のカンニング竹山さんですが、かつてカンニングというコンビを故・中島忠幸(なかじま ただゆき)さんと結成していました。
中島さんも急に倒れ、入院し闘病の末に亡くなってしまいました。
中島さんは2004年に結婚し、秋には長男が誕生しましたが、年末に体調不良で入院しました。
そして年明け2015年初めに、自身が急性リンパ性白血病であることを公表しました。
その後は病と闘う日々を過ごしますが、甲斐なく2016年12月に35歳の若さで死去しています。
竹山さんは、中島さんの闘病中にも「カンニングの竹山」と強く名乗り、中島さんの死後もその名を外さず今に至ります。
「中島の七回忌までは中島の話はしない」と心に決めていたそうで、前向きに生きるため、期限を決めて中島さんの死と向き合っていたのでしょうか。
2012年の単独ライブでは、初めて中島さんのことを語り、なんと中島さんの死をネタにした漫談を披露します。
それは死の悲しみを毒づいて笑い飛ばすような内容だったそうです。
そして竹山さんは、こう語っています。
「大切な人との別れというのは、前に進む力になるんですね、きっとね。ものすごい悲しいことだけど、この人の分まで頑張ろうとか、この人に負けないように頑張ろうと思って、そういう思いをパワーに変えて、人は前に進んでいく。僕はそうやって生きてきたし、これからも生きていくのかなと思っていますね」と語っている。
高山トモヒロさんやカンニング竹山さんに限らず、大切な人との別れというものは、多くの人々が経験しています。
しかし皆、苦しみながら乗り越えていったんですよね。
それにかかる時間は人それぞれでしょうが、残された人はどうあっても生きなければなりません。
そう思い知らされた出来事でした。
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高山トモヒロさんの今現在は?
高山トモヒロさんは2001年にケツカッチンというお笑いコンビを結成し、現在も活動しています。。
相方は和泉修(いずみ しゅう)さんという方です。
M-1グランプリに挑戦を続けており、優勝候補まではまだ進んでいませんが、惜しいところまで行くときもあり、お笑いの世界で再び栄冠をつかもうと努力されているようです。
まとめ
- 高山トモヒロさんは1968年生まれの48歳、大阪府大阪市日本橋生まれ、大東市出身
- 大阪市立桜宮高校の野球部で河本栄得さんと出会い、後に吉本のNSCに入学しコンビを結成する
- 2人のコンビは同期で一番の活躍を見せ、将来を期待されていた
- 1994年10月、河本栄得さんが劇症肝炎により死去。コンビ結成からわずか5年、25歳という若さであった
- その後高山トモヒロさんは相方の死から立ち直れず、苦しむ日々が続く
- 2001年に和泉修さんとケツカッチンを結成し、お笑いでの再起を図る
- 高山トモヒロさんの次女は芸人の光永(ひなた)。長女は世界的なチアリーダー
この話の映画、泣きたいときしか観られないと思います…
突然すぎる死、誰しもいつやってくるかわかりません。
最近私も、いかに充実した生を送るか、という重いことがたまに頭によぎるようになりましたよ…(私は30代です)
ところで、次女の光永(ひなた)さんは2世芸人ということになりますが、親子で仲良く出演することがある一方、こちらの方もあるお笑い芸人の娘さんですが絶対に共演しないそうです。
しかもお父さんから!何でですかね?深い理由でも?
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コメント
次女の光永さんは、いま吉本坂46の選抜チームで活躍されてますよね。
この記事が書かれた当時はまだ構想すらでてなかったアイドルですけど。