こんばんわ、クマ船頭です!
最近相撲が盛り上がっていますが、話題の中心は19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里ですよね。
しかしその前に、最も横綱に近い日本人力士と言われ、惜しくも昇進できずに大関のまま引退した魁皇関がいます。
現在では浅香山部屋で弟子を持つ浅香山親方として日々を送っていますが、当時は何故横綱になれなかったの?と方々から今更ながら声があがっているようで、いったい真相はどうだったのでしょうか?
とんねるず・石橋貴明さんの番組「石橋貴明のスポーツ伝説 稀勢の里になれなかった男」に魁皇さんが出演し、その心の内を語るようです!
また、魁皇さんの嫁(妻)は、なんと元女子プロレスラー、西脇充子(古賀充子)さんだというのもすごいですね!
そちらも紹介していきます!
魁皇とは?驚きの同期力士たち!
魁皇博之(かいおう ひろゆき)さんは1972年生まれの44歳、福岡県直方市出身です。
本名は古賀博之(こが ひろゆき)さんといいます。
友綱部屋に所属し、23年もの間土俵で大活躍した名力士です。
小学生の頃に父親の勧めで町内の相撲大会に出るようになり、中学時代には片手でスチールの空き缶を潰せるほどの剛力だったとか。
その後、東京スカイツリーのお膝元にある友綱部屋(と言っても当時はまだありませんが…)に入門し、1988年に初土俵を踏みます。
この時の魁皇関の同期力士たちがすごい顔ぶれなんです!
若貴兄弟で大人気だった貴花田(貴乃花)と若花田(若乃花)、相原勇さんと破局し後に総合格闘技に進んだ曙がいるんです!
この代から3人も横綱が出ているんですね。
そのせいもあってか、魁皇関は実力があってもかすんで見えてしまったのかもしれません。
初めは慣れない東京暮らしや辛い稽古もあって友綱部屋からの脱走を試みますが、やがて戻り、再び稽古に励み、それが結果へと繋がっていくのです。
勝ちまくった名大関・魁皇の実力
貴花田、若花田の超速昇進には敵いませんが、それでも魁皇関の出世は早く、デビューから4年の1992年に十両昇進を果たします。
1994年には横綱である曙と初対戦し、なんと大金星を挙げます。
その後、大関である若乃花、武蔵丸にも勝ち、同年小結に昇進します。
2000年には初優勝を果たし、とうとう大関へ昇進を果たしました。
大関時代での活躍が最も輝いていたと言っていいほど、勝ち星も多かったです。
大関においては4度の優勝を成し遂げ、32歳になる2004年には全場所で二ケタ勝利を飾るなど、充実した戦いぶりを披露していました。
しかし、魁皇は大きな問題を抱えており、そのことが後々の相撲人生にも影響してくるのでした。
最も横綱に近づいた日本人力士・魁皇
当時はハワイ出身の横綱・曙や武蔵丸といった外国人力士の台頭が目立ち、日本人横綱は若乃花が2000年に引退して以来、不在となっていました。
2004年には通算5度目の優勝を果たし、全場所2桁勝利で迎えた11月場所で朝青龍を下して、優勝こそ逃したものの次点の成績を挙げました。
年間を通してだと素晴らしい成績を残した年でした。
当然ファンも、魁皇の横綱昇進を期待し、不在だった日本人横綱の席に魁皇が座ることを待ち望んでいました。
が、結局魁皇の横綱昇進は見送られ、その後も大関として勝ち星を重ね、2011年に通算1,047勝の最多勝記録を達成します。
そして同年引退を発表し、2012年に引退式が行われたのでした。
なぜ稀勢の里は横綱で魁皇はダメだった?魁皇の嫁が〇〇?次ページで!
なぜ稀勢の里は横綱へ昇進し、魁皇はなれなかったのか?
2017年に第72代横綱へ昇進した稀勢の里(きせのさと)ですが、優勝は何と2017年1月場所の1回のみです。
一方の魁皇は5回も優勝していながら、横綱にはなれませんでした。
横綱昇進の基準とは、「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」です。
魁皇は5回目の優勝した後、次の場所で準優勝しています。
その時の優勝は朝青龍で、差は1差でした。
稀勢の里は2016年に1度も優勝しませんでしたが、年間最多勝記録を達成しました。
2016年11月場所では準優勝で、優勝の横綱・鶴竜との差は2差でした。
そして次場所である2017年1月場所で優勝し、横綱昇進を果たします。
つまり、稀勢の里の「年間最多勝記録」が「優勝と同等の実績」と判断され、次場所での優勝と合わせて「(2場所連続優勝に)準ずる成績」と判定されたということでしょう。
「年間最多勝記録」というものが横綱昇進に影響するかは内規には定められていません。
一方の魁皇が昇進できなかった理由について、日本相撲協会は「大関で2場所連続優勝という内規を満たしていない」と語っています。
魁皇のときは、わずか1差の準優勝だったというのに、ガチガチのルール判定されてしまったんですね。
日本相撲協会の判断基準も、最近の相撲人気の陰りを盛り返そうという雰囲気に押されて甘くなってしまったのでしょうか。
しかし魁皇は「当時横綱に昇進していたら1,047勝の最多勝記録は打ち立てられなかっただろうし、横綱昇進に必要な記録が出せなかったのは自分」という旨のことを言っています。
どこまでも謙虚な姿勢が、名大関として愛され人気が高かった理由かもしれませんね。
もっとも、魁皇はケガに悩まされ、思うような成績をあげられなかったときもありました。
ケガは力士が最も悩むことで、魁皇に限ったことではありませんが、魁皇も例外ではなかったということです。
しかし魁皇と稀勢の里の因縁、稀勢の里の横綱昇進を魁皇から見たら複雑な気持ちかもしれませんね。
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魁皇の嫁(妻)はプロレスラー!
実は魁皇は横綱の期待が集まる以前の1999年に結婚しています。
お相手は、元女子プロレスラーの西脇充子(古賀充子)さん!
今では魁皇関が親方を務める浅香山部屋の女将として、弟子たちの世話に大忙しの毎日を送っています。
2人の出会いは何と合コン!
力士との合コンって一体どんな会話なんでしょうか…まったくイメージ湧きませんけど!
西脇充子さんの詳しいことはコチラから!
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まとめ
- 1972年生まれの44歳、福岡県直方市出身
- 本名は古賀博之(こが ひろゆき)さん
- 1988年初土俵。同期は貴花田(貴乃花)、若花田(若乃花)、曙など
- 2004年には通算5度目の優勝を果たし日本人横綱の期待が集まるも昇進を逃す
- 2011年に通算1,047勝の最多勝記録を達成し翌年引退
うーん、相撲協会ってブラックボックス感が強いですねえ…。
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