「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ視察団」で、日本在住の外国人料理関係者が選定した
「なくさないで欲しい日本の食ベスト20 ~冬編~」について、外国人に和食の素晴らしさを伝える3人の料理人うちの1人として、
吉岡英尋(よしおか ひでひろ)さんが出演しました。
我々日本人とは違った視点で和食を見る外国人の方々に、ハッとさせられる視点で和食を解説!
今回は吉岡英尋さんにスポットを当てます。
吉岡英尋さんの料理が食べられるお店の情報も紹介します!
吉岡英尋とは
吉岡英尋さんは1971年生まれの45歳、東京都清瀬市出身です。
厳しい修行を重ね、和食文化を追求し、その結果としてテレビや雑誌でも多数とり上げられています。
現在は東京・恵比寿にご自身の店を持ち、多くの人々の舌を喜ばせています。
吉岡英尋の過去、出身は?
吉岡さんは東京都清瀬市に生まれますが、1歳で両親が離婚し、母親に引き取られます。
そこには3世帯11人が住むという環境で育ちます。
夏休みには愛媛県の島にある祖父母宅へ行き、毎日魚を食べていたとのこと。
ここにも和食料理人になる、何らかの影響があったのかもしれません。
高校卒業前、吉岡さんは進路に悩みますが、大学へ進む気にもなれませんでした。
しかし大卒と肩を並べられるような仕事はないだろうか?と思案し、「料理人」の道を選ぶことに。
そして新宿の調理師専門学校に進みます。
私なんて、大学へ進むのが当たり前のような感覚でしたから、何の仕事で食べていくとかあまり考えたことがありませんでした。
学生時代に飲食のアルバイトをしていましたが、厳しいシェフだったんで、調理師の世界なんてありえないと当時は思いました(笑)
出典:ぐるなびシェフ
吉岡英尋の経歴は?
卒業間近、「給料が低くてもいいから技術のつくところ」という希望から、東伊豆の「つるやホテル」に勤め始めます。
「下積みとして東京で皿を洗うなら、伊豆で魚を触ったほうがいい」というのは専門学校の教師の考えでした。
つるやホテルは、現在は「つるや吉祥亭CAREN」として営業しています。
それから吉岡さんは「つるやホテル」で早朝から深夜まで黙々と働き、時には200人分の料理を用意することも。
多忙で実家にも帰れず、3年という月日があっという間に過ぎていきました。
その後、「鎌倉山の鬼」と称される厳しい店に移るも、先輩との衝突で店を飛び出し、その足で今度は熱海の旅館で働いたり、
東京に戻って永田町、新宿、銀座の各名店で腕を磨いたのち、2000年にとうとう自分の店を持つに至ります。
それが東京・恵比寿『なすび亭』です!
吉岡英尋さんのお店、評判や場所は?次ページで!
吉岡英尋の店の場所はどこ?
『なすび亭』の場所は、JR山手線の恵比寿駅から徒歩で8分ほどの閑静な住宅街の中です。
コンクリート造りのオシャレな外観で、2016年9月にリニューアルしました。
まさに”隠れ家”の名にふさわしい佇まいです!
吉岡英尋の店や料理の評判は?
『なすび亭』のメニューは1種類しかありません。
その名も「おまかせ料理」(7,000円)です。
旬の魚介、野菜などその日入荷した最良の食材で作るおまかせ料理は、先付からお食事の炊き込み御飯、口直しのデザートまで8品のコース料理でご用意しております。
最良の食材を使った料理は ”奇をてらう為に手をかけるのではなく、最良の状態で召し上がって頂けるよう手をかける” と心掛けております。
選ぶ手間や迷う心配がなく、何が出てくるかは行ってみなければわからない!
私もこんなお店行ったことがありません!
出典:ゼクシィキッチン
さて、このメニューですが、試行錯誤の結果このようになったようです。
かつてはもっと安いメニューや、ランチメニュー、ふぐ料理などもやっており、特にふぐ料理は売れに売れたとか。
評判も上々で、知る人ぞ知る名店となっているようです。
お店のキャパシティは2~6人用の個室が6部屋、カウンター席が6席あります。
人気店ですので、行きたい場合は電話で予約したほうがよいでしょう。
まとめ
- 1971年生まれの45歳、東京都清瀬市出身
- 高校卒業後に調理師専門学校へ進み、その後東伊豆のつるやホテルへ就職
- 鎌倉、熱海、永田町、新宿、銀座などの店に勤め経験を積み、2000年に独立
- 恵比寿の閑静な住宅街に「なすび亭」を構え、好評を得る
いつかはこういった良い雰囲気のお店で、素晴らしい料理を頂きたいものです!
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