こんばんわ、クマ船頭ですよ。ようやく春めいてきましたね!
さて、今回は元ボクシングチャンピオンで「怪物と呼ばれた男」カシアス内藤さんについて語ります。
何やら末期がんで余命3か月の元チャンピオンの嫁・妻がボクシングジムを必死に切り盛りしているとか…。
でもどうやら奇跡が起こったみたいです!?
一体どういうことなのか詳しく調べてみました!
カシアス内藤とは
カシアス内藤(かしあす ないとう)さんは1949年生まれの67歳、兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市出身です。
本名は内藤純一(アメリカ名:ロバート・ウィリアムズ)といいます。
軍人だったアメリカ人(黒人)の父親と日本人に母・内藤富美子さんの間に生まれたハーフですが、
もともと母親の富美子さんは、米軍キャンプのカフェでウェイトレスとして働いており、そこで旦那さんと知り合ったそうです。
しかし富美子さんがカシアス内藤さんの弟を身ごもったとき、父親は朝鮮戦争に召集され戦死しています。
そこからは母一人で2人の子供を必死に育てたと思われます。
ボクシングに出会ったのは、横浜市港北区にある武相高校へ進学したときでした。
たまたま試してみたボクシング部で、これまでケンカで負け無しだったのにボロ負けし、悔しさからボクシング部に入部したのでした。
その後は高校インターハイで優勝し、卒業後は船橋ジムに所属しプロボクサーに。
無敗の16連勝街道をひた走り、20歳で日本ミドル級チャンピオンに輝きます。
その翌年には東洋ミドル級チャンピオンをゲットします。
しかしその後は連勝街道、とはいかず、成績は伸び悩んでしまいます。
そして1979年に30歳で現役引退します。
丁度その頃、大ヒットした曲がありました。
カシアス内藤さんをモデルにした、アリス(谷村新司さん、堀内孝雄さんのユニット)の「チャンピオン」です。
私は30代ですが、昔よくこの曲を聞いていまして、カシアス内藤さんをモデルにしたとは知りませんでした。
チャンピオンが若い挑戦者に打ちのめされ、負けるとともに重圧から解放される様子が歌われています。
また、「カシアス内藤」とはリングネームで、なんとあの「モハメド・アリ」の改名前の名前であるカシアス・クレイから名付けたのです。
そのことから「和製クレイ」「東洋のクレイ」と親しまれました。
しかし当の本人は、父親が付けてくれた本名のロバート・ウィリアムズでやりたかったそうですが、ジムが宣伝効果を優先して却下したとのことです。
確かにこの名前のほうがいいと思います。
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カシアス内藤の嫁・妻や娘、息子とは?
カシアス内藤さんの奥さんは三美子さんという方で、千葉県勝浦市出身です。
今では旦那さんと一緒にジムを経営しています。
実は三美子さんはカシアス内藤さんの2人目の嫁(妻)なのです。
前妻との間には2人の娘さんがいましたが、病気で前妻が亡くなり、カシアス内藤さんが男手で娘さんを育てていました。
その後、三美子さんと出会い、結婚。
そして1991年に長男が生まれ、次も息子さんと、今度は2人の男の子に恵まれました。
その息子2人もボクシングをやっており、長男の内藤律樹(ないとう りっき)さんは現在25歳で、なんと日本スーパーフェザー級チャンピオンという栄冠を手にしています!
ちなみに律樹さんはリッキー内藤とも呼ばれています。
しかし親子で日本チャンピオンとは、すごすぎます!
次男の未来さんもボクシングをしており、将来が期待されています。
カシアス内藤が末期ガン?
2004年、カシアス内藤さんが55歳のときに、運命は訪れます。
飲み込むときに痛みを感じたので病院へ行くと、なんと咽頭がんと診断されます。
しかもステージ4の末期がんで、余命3ヶ月の可能性も通告されます。
まさに急転直下の出来事です。
通常ならばがんを切除し、抗がん剤を用いて闘病生活に入るところですが、カシアス内藤さんはそうしませんでした。
カシアス内藤さんの咽頭がんは進行しており、切除すると声が出なくなるというのです。
そうするとボクシングの指導ができなくなるとカシアス内藤さんは考えました。
夢であるボクシングジムを開くため、絶対に声を失うわけにはいかない。
選手の一瞬一瞬の動きに即座に指導できなければ、トレーナーとしての役目が全うできないと思ったそうです。
しかし、このままでは死んでしまうのは明らかです。
ですがカシアス内藤さんは現在も生存しています。
いったい何故なのでしょうか。
カシアス内藤の今現在は?生存の理由とは?次ページで詳しく!
カシアス内藤の生存の理由とは?
カシアス内藤さんは、ステージ4の咽頭ガンが見つかっても切除の道を選びませんでした。
それは自分の声を守るため。
切除しないで生き抜く方法を探したのです。
その方法とは「放射線治療」と「化学療法」でした。
幸運なことに喉頭がんは転移しておらず、まず抗がん剤の点滴投与が始まり、その副作用で24時間吐き気に襲われるようになりました。
しかし体力を落としたくないカシアス内藤さんは、病室をこっそり抜け出して走り込みを行い、喉の痛みをおしてカップラーメンなどでカロリーを摂取します。
その後、抗がん剤の投与が点滴から飲み薬に替わり、喉のがんに放射線を当てて、がん細胞を殺す治療が始まりました。
それでもやはり放射線の影響で喉はただれ、激痛に苦しみます。
しかしその毎日の闘病が功を奏し、がんが小さくなったのです。
「がんと共存し、窮地からドロー(引き分け)に持ち込めば勝ちだ」
がんとの戦いもボクシングも同じように考えたカシアス内藤さんは、クレバーな戦いぶりで最終ラウンドに戦いを持ち込もうと考えたのでした。
そして入院から3ヶ月後、ついに退院の日を迎えました。
死の淵からゴングに救われたカシアス内藤さんは、最後の力を振り絞って、ある計画を実行に移します。
出典:E&Jカシウスボクシングジム
カシアス内藤の今現在は?
その計画とは、自分のボクシングジムを開くことでした。
横浜市中心部にほど近い、JR石川町駅そばのビル2Fに好物件を見つけ、ここをジムとします。
カシアス内藤さんの半生を書いたノンフィクション「一瞬の夏」、作者の沢木耕太郎さんも協力し、2005年に念願のボクシングジムを開きます。
ジムの名前は「E&Jカシアス・ボクシングジム」です。
カシアス内藤さんの師匠でチャンピオンを育てたアメリカ人名トレーナー、エディ・タウンゼントさんと、自分の名前「純一」からE&Jと名付けたのです。
今では100人を超えるジム生が通い、顔ぶれも幼稚園児から70歳代までとさまざま。
ダイエットのために通う人も、本気でプロを目指す人も、皆このジムで汗を流しています。
開設して10年余りながら多数プロボクサーを輩出し、またカシアス内藤さんの人柄に触れて続々と入門生が集まっている模様です。
しかしカシアス内藤さんは、がんの発症を抑えてはいるものの、激しく体を動かすことは難しい状態です。
そのサポートを務めるのは、やはり奥さんの三美子さん。
現在のジムに欠かせない存在ですが、そんな三美子さんにある奇跡が起こったようです。
その奇跡とは一体何だったのでしょうか…。
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まとめ
- 1949年生まれの67歳、兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市出身
- 本名は内藤純一(アメリカ名:ロバート・ウィリアムズ)で、アメリカ軍人だった父と日本人の母・内藤富美子さんの間に生まれたハーフ
- 武相高校ボクシング部への入部をきっかけにプロボクサーの道へ
- 20歳で日本ミドル級チャンピオンに輝き、30歳で現役引退
- 引退後は様々な仕事を経て、前妻との間に2人の娘、現在の三美子夫人との間に2人の息子をもうける
- 長男はボクサーの内藤律樹(ないとう りっき)さんで現在25歳、元日本スーパーフェザー級チャンピオン
- 2004年、55歳で咽頭がんが見つかり、ステージ4の末期がんと宣告される
- がんを切除すると声が出なくなることから、放射線治療と化学療法(抗がん剤)を施した結果、がんの進行を止め共存することに成功
- 2005年、横浜市内の石川町駅近くのビルに「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開設
がんと共存して、余命3か月の末期がんが13年ももつなんて、正直驚きました。
これもボクサーとして備わった強靭なスタミナが関係しているのでしょうか?
普通の人間なら難しいと感覚的に思いますが…がんは怖いです!
最近の格闘技は昔と違う路線で売り出すことが多いみたいですね。
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