ども、クマ船頭です!
人気番組「爆報!THEフライデー」で、今から50年以上も前の1963年に起きた事件「西口彰連続殺人事件」が扱われますね。
西口彰(にしぐち あきら)は殺人を犯して日本各地を3か月もの間、職業や人物を詐称しながら逃げ回り、最後にはとある小学生の女の子・古川るり子さんに見破られて逮捕されます。
全国13万人の警察官より小学生の目が勝ったということでも話題を読んだ事件ですが、この事件の真相や、まさに名探偵といった11歳少女の今現在はどうなのでしょうか?
西口彰とは
西口彰(にしぐち あきら)は1925年生まれ、大阪府出身です。
代々キリスト教(カトリック)を信仰している家系で、西口彰も5歳で洗礼を受けています。
その後大分県別府市に転居しますが、中学2年の頃に家出をし、窃盗と詐欺で逮捕されます。
そして山口県岩国市の少年院に送られますが、翌年出所後も同様に詐欺や恐喝を繰り返し、戦時中でありながら刑務所とシャバを行き来するような有様でした。
しかし女性と結婚して3人の子供までもうけますが、別府市の両親のもとに預けて自分は福岡県行橋市で運転手の仕事をしていました。
その一方、女癖が悪く、理容師や他の女性を愛人として不貞を繰り返していたり、ギャンブル好きであったりと、つまりどうしようもない男だったのでした。
本当にキリスト教を信じる一家だったのでしょうか?
これらの行動から、まったく信じられません…。
結婚や子供まで作り、家族が不憫でなりません。
実の親でさえ、西口彰のことをどう考えていたのでしょうか。
西口彰連続殺人事件とは
1963年10月18日朝、専売公社(現・日本たばこ産業)の職員2人が殺されているのが発見されました。
そして2人が集金で回って集めたお金が無くなっていたのです。
3日後、目撃情報から西口彰が全国に指名手配され、愛人の理容師宅も警察によって押さえられましたが、行方の手掛かりは得られませんでした。
その頃、西口彰は北九州・小倉の野球場でナイターを観ており、夕刊で自分が指名手配されていることを知ると、行橋にいる妻と行橋署に手紙を送りました。
妻への手紙には「捕まって世間に笑われるようなことは絶対しない。死ぬつもりだ」旨のことが書かれていました。
また警察への手紙には「警察や世間を騒がせて申し訳ない。捕まって笑われるようなことはしない。東京にて」旨のことが書かれており、
3日後には四国本州連絡船(宇高連絡船)の甲板に革靴と上着、遺書が置いてあるのが発見されたのです。
しかしこれはまったくの偽装で、警察も西口彰が引き続き逃亡していると断定していました。
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そう、西口彰は逃げていました。
岡山から神戸、大阪、京都、名古屋、浜松と東へ動き、次は広島と逆方向へ戻り、さらには北海道まで渡りました。
その途中では、数々の詐欺行為を行って現金をかすめ取りながら逃亡していました。
ある時は大学教授に化け旅館に泊まり、またある時は弁護士を殺して弁護士バッジを奪い、手段を問わず逃亡を繰り返している中で、西口は計5人をてにかけるまで罪を重ねていました。
そして1964年の1月2日、西口彰は九州は熊本県玉名市にいました。
そこで、福岡事件の再審請求など冤罪事件防止に取り組む真言宗僧侶・古川泰瀧(ふるかわ たいりゅう)さん宅を訪れ、弁護士を騙って冤罪事件防止に協力する申し出をしたのです。
実は西口彰は以前福岡刑務所で服役中、講話のために刑務所を訪れていた古川泰瀧さんを覚えていたのです。
すっかり打ち解けていた2人でしたが、そこで怪訝な視線を送っていた一人の少女がいました。
11歳になる古川泰瀧さんの次女、古川るり子さんだったのです。
連続殺人事件の犯人を見破った少女・古川るり子とは?今現在は?次ページで!
連続殺人事件の犯人を見破った少女・古川るり子とは
古川るり子さんは一家で熊本県玉名市の玉名温泉街の一角に暮らしていました。
西口彰が来た1964年1月、古川るり子さんはまだ11歳の小学5年生でした。
訪問してきた西口彰を2階に案内するよう母に言いつけられ、西口彰の顔を見つめたとき、古川るり子さんはある疑念を抱きます。
この男の人は、指名手配犯ではなかったか?と。
そして外に貼ってあった指名手配犯の写真を見て確信します。
父親も母親もその事実を知り恐怖しますが、父親の古川泰瀧さんは、このまま家から出したら街が大変なことになる、と家に泊まるよう西口彰に勧め、翌朝まで引き留めました。
そして西口彰が寝入るのを確認すると、こっそり警察へ届け出たのです。
また、家族が寝る部屋に外からこっそり鍵を取り付け、襲われた際に少しでも時間稼ぎになればと考えたそうです。
家族全員が、なんとしても西口彰を捕えようと懸命に頑張っていたんですね。
そして翌朝に警察が来る手筈となっていました。
悟られないように振る舞って引き留めるなんて、とんでもない勇気ですよね!
しかし実際、西口彰も違和感を覚え、翌朝足早に古川家を出ようとしたとのことです。
警察との作戦は、最寄りのバス停まで西口彰を誘導するというものでした。
そのため古川泰瀧さんはバス停まで送ろうと西口彰に申し出ますが、バス停直前になり西口彰が「もうここで結構」と一人で行ってしまったのです。
万事休す…!と思ったところ、付近で待ち構えていた複数の警察官に声をかけられ、1月3日朝、無事逮捕の運びとなったのでした。
そして2年後の1966年に西口彰の死刑が確定し、1970年に福岡拘置所で死刑が執行されました。享年44歳。
この事件をもとに描かれた小説「復讐するは我にあり」(佐木隆三著)は直木賞を受賞し、緒方拳主演の映画も制作されました。
そこでは、西口彰が「詐欺はしんどい。やっぱり殺すのが一番面倒がなくていいよ」と非常に恐ろしいことを語ったと伝わっています。
警察庁刑事局長で警視監の高松敬治は、「全国13万人あまりの警察官の目は、幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語りました。
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古川るり子の今現在は?
古川るり子さんはその後、父・古川泰瀧さんが活動していた、「ベトナムに平和を!市民連合」(玉名ベ平連)の運動に参加するなどしていました。
その後は一般女性として過ごされていたのか、情報があまりありませんでした。
事件当時11歳ということは、1952年あたりの生まれではないでしょうか。
すると今では64歳か65歳あたりで、まだまだご健在ではないでしょうか。
また、熊本県南部の水俣市において、農業女性アドバイザーとして市の食育推進メンバーに名前がありました。
実家が熊本県玉名市ですので、信憑性は高めかもしれません。
結婚されて水俣市の方へ移られたのかもしれません。
もしそうだとすれば、同じ熊本で一般人として過ごされていたのではないでしょうか。
おわりに
自分の身を投げ打って犯人逮捕に貢献した古川さん一家の勇気には本当に驚きました。
最近も凶悪な事件が数多く発生し、このような事件も今後起きないとは言えない状況です。
私にとっては、もし同じような凶悪事件に遭遇したとき、私に何ができるのだろう、と考えさせられたニュースでした…。
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