こんにちは、クマ船頭です。
最近、なんだか体が重い…まさか霊が!?…というのは考え過ぎで、単なる寝不足なだけでした(笑)
今日紹介するのは、かつて霊能タレントとして活躍したロックスター、池田貴族(いけだ きぞく)さんです。
音楽活動だけでなく霊感が強いタレントとしても活躍しましたが、ガンのためわずか36歳で亡くなりました。
奥さんの池田一美(いけだ かずみ)さんが「爆報!THEフライデー」に出演し語った、池田貴族さんの生きざまについて紹介します。
池田貴族の経歴
池田貴族さんは1963年生まれ、本名は池田貴(いけだ たかし)、愛知県名古屋市出身です。
名門校でラグビーの強豪校でもある愛知県立千種高校出身ですが、上京し、渋谷の歩行者天国(ホコ天)を
活動拠点とするロックバンドremote(リモート)を1987年に結成します。
その後、渋谷のホコ天で一番人気の呼ばれるほどになり、オーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)に出演。
物怖じせずに発言する池田貴族さんの態度が評判を呼び、話題性はさらに大きくなりました。
1990年のメジャーデビューからわずか2年で解散するまで、数枚のシングルとアルバムをリリース。
その間にはみうらじゅんさんらとシーモンキーズをインディーズで結成するなど、積極的に音楽活動を展開していました。
remote解散後は単独の音楽活動のほか、作家や霊能タレントとしての活動も行います。
特に霊能については、父親が霊能師で池田貴族さんもその影響で霊感が強いのではと言われています。
一方恋愛面では、1992年に一美さんという元タレントの女性と同居を始め、1996年の七夕に入籍・結婚します。
この頃私はまだ小学生になったばかり位で、ホコ天もイカ天もまったく記憶にありません。
ただ、池田貴族さんという方がいたことは覚えていますが、何をしている人かは理解していませんでした…。
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池田貴族のがんが発覚!
それは1996年、池田さんの母親が東京の池田貴族さん宅を訪れたときのこと。
母親が池田貴族さんの顔色の悪さに心配し、病院で検査したらなんと肝細胞がんが発覚します。
その後、地元名古屋で医者である同級生に相談して手術、肝臓の4分の1を切除しました。
この時、池田貴族さんの病状はステージ3、5年後生存率は50%でした。
手術後、池田貴族さんは順調な回復を見せ、しかも一美さんが妊娠するという喜ばしいニュースも。
手術の際に、1歳のめいの存在に癒されたのもきっかけの一つのようです。
池田貴族さんは大いにはしゃぎ、きっと娘だ、高校生になったら~だ、などと未来の話に花を咲かせていたようでした。
しかし事態は急転直下。
がんの再発が発覚したのです。
手術からわずか10か月後のことでした。
池田さんは定期検査の後、必ず自宅に結果を伝える電話をしていました。
でもその時に限って一美さんのもとへは一向に電話が来ず、大分時間がたった後に池田貴族さんが帰宅し「ごめん、再発した」と告げました。
その時の2人の気持ちを想像すると、私も涙が出そうになってきます。
がんとの闘い、命をかけた伝説のライブ!次ページで!
池田貴族のがんとの闘いとは
再発したがんは進行性で、ステージ4aというものでした。
がんのステージは1から4までしかなく、つまり治る見込みはほとんどありません。
再度手術して部位を切除し、後は抗がん剤による治療が始まりました。
そのような中で、1998年2月16日、長女が誕生したのです。
名前は美夕(みゆう)ちゃん。
池田貴族さんと一美さんが出逢い、入籍した七夕の頃から、この名前になったそうです。
この娘さんの誕生が、池田貴族さんががんと闘うエネルギー源となっていったのです。
私も保育園に通う娘が1人いますが、もし自分が同じ境遇になったことを想像すると、胸が押しつぶされそうになります。
最近涙もろくなったせいか、目頭まで熱く…。
でも、池田貴族さんと一美さん、そして美夕ちゃんは、そのような運命に巻き込まれてしまったのですよね。
とてもやるせないものを感じます。
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池田貴族の伝説のライブとは
伝説のライブと呼ばれるものはいくつかありますが、1999年に池田貴族さんがその歴史に名を刻みました。
池田貴族さんは、がんによって親を亡くし遺児となった子供たちを支える「あしなが育英会」の存在と、そのあしなが育英会が財政危機に陥っていることをを知ります。
もし自分が死んだら、娘の美夕ちゃんも似た境遇になるかもしれない、そう思ったのかもしれません。
そこで池田さんは、自分の生きた証を刻むのと、がん遺児を支えるためのチャリティライブの企画を打ち立てます。
結果、このライブは大成功を収めます。
趣旨に賛同した著名人の数々が、ノーギャラで出演してくれたのでした。
中でも池田貴族さんと同じ千種高校の先輩である、舘ひろしさんの話がすごいです。
当時すでに石原プロでヒットしていた舘ひろしさんの出演料について、不安がスタッフの間を渦巻いていました。
責任者が恐る恐る石原プロの専務に出演と出演料について電話で聞いてみると、次のように言われたそう。
5月30日の舘はオフでありますから、私ども石原プロモーションは当日の舘の行動について一切関知いたしません。
つまり、石原プロは舘ひろしさんの行動を黙認、いや実質OKしたのでした。
そして、舘ひろしさんが出演料について聞かれた際の返事がまたすごいです。
「生前葬実行委員会の諸君へ、ギャランティ・宿泊費の件で複数回問い合わせをいただいた。一体俺を誰だと思っているのか?そんなに払いたければ回答する。舘ひろしのギャラは一億円である。それが無理なら一切の金、宿泊・移動・ホテル・食事はいらない。高校の後輩で、芸能界の音楽を愛する後輩が、その死にざまを見せようとしているときになぜ俺が金をほしがるのか?俺は一切の金は受け取らない。以上」
この報告を聞いたスタッフ、あしなが育英会の方々は、感動にむせび泣いたそうです。
舘ひろしさん、カッコ良すぎます!
ライブのポスターイラストはみうらじゅんさん、当日は舘ひろしさんに、筋肉少女帯の大槻ケンジさん、イカ天時代のバンドメンバー、そして母校・千種高校の現役高校生たちまで…。
実はこの時、肝臓のがんはすでに70個にまで増えて手術不能、肺にも転移しライブ2か月前に肺を3分の1切除していました。
しかし池田貴族さんは命をかけて歌い切り、名古屋センチュリーホールの満員3,000人の前で伝説を打ち立てたのでした。
なんという生命力なんでしょう!
この鬼気迫るライブに観客は総立ち、今でも語り草となっているようです。
池田貴族の残された妻と娘の今現在は?娘がなんと…次ページへ!
池田貴族の残された妻と娘の今現在は?
ライブから半年後のクリスマスの日。
1歳10か月のもうすぐ2歳になる娘に向かって、「美夕、ママを頼むよ」
そう言い残して池田貴族さんは亡くなりました。享年36歳です。
「どうしても美夕が3歳になるまで生きていたい。そうすれば美夕はパパのことを覚えていてくれる」
池田貴族さんはそう心から願っていましたが、叶うことはありませんでした。
夫が亡くなったのち、池田一美さんは故郷の三重県に美夕ちゃんと戻ります。
気持ちの整理がつくまで、どれだけの時間が必要だったことでしょう。
美夕ちゃんが「パパは?」と聞くと、「お仕事が忙しいんだよ」とウソをついてしまったそうです。
再び歩き始めたとき、一美さんは介護士になることを決意します。
それにはもちろん、一連のつらい出来事が大きく影響しています。
実は一美さんは子育てと貴族さんの世話が重なり、疲れ果てて貴族さんの介護が十分にできなかったのです。
うつ病のような状態に陥ってしまった一美さんは、貴族さんが亡くなる2日前、「もっと一緒にいたい」という
貴族さんを振り切って、美夕ちゃんと一時外出してしまったのです。
しかしその後貴族さんの病状が悪化し、2人は別れの言葉も満足に交わせないまま、貴族さんは亡くなってしまいました。
このことを一美さんは非常に後悔したとのことです。
そして2002年、一美さんは介護士として働き始めました。
貴族さんへの後悔が、週5日17年間働き通した実績を創り上げてしまったのかもしれません。
押しつぶされそうな現実に向き合い、他の人の助けになるような道を選ぶ一美さんを、心から尊敬する気持ちになれました。
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そして現在、美夕ちゃんは18歳になり、劇的に変わります…
なんと…ア、アイドルになっちゃってました!!
詳しく語ると長いので、下の記事へどうぞ!
池田貴族の娘・美夕はアイドル・スラッガーズ(Sluggers)の結奈?メンヘラ?かわいい画像も【爆報THEフライデー】 |
まとめ
- 1963年生まれ、愛知県名古屋市出身
- 本名は池田貴(いけだ たかし)
- 愛知県立千種高校卒業、同校の先輩に舘ひろしさんがいる
- ロックバンドremote(リモート)を1987年に結成し渋谷のホコ天やテレビのイカ天で人気に
- 1996年に肝細胞がんが発覚する。同年一美さんが妊娠し、入籍する
- 手術は成功するも翌年再発。再手術し抗がん剤治療が始まる。
- その後、長女の美夕(みゆう)ちゃんが誕生
- 1999年、伝説のライブ「大生前葬」が名古屋で開かれ、舘ひろしをはじめ多くの著名人がチャリティーライブにノーギャラで応える
- 1999年のクリスマス、池田貴族さん死去。享年36歳。
- その後一美さんと美夕ちゃんは故郷の三重県に戻り、一美さんは介護士として働く
いや…凄い話を知ることが出来ました。
生きてるってこと、それ自体が幸運なんじゃないかと思えてきてしまいます。
まさに命を次につなげるということが、この事なんじゃないかと感じました。
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